七面山登詣記
|
|
団参で、七面山に登りました。七面山を知られない方もおられますので、少し説明をします。
七面山は、日蓮宗総本山身延山久遠寺の西に位置し、標高は一九八二m、山頂近くに敬慎院というお寺があり、法華経行者の守護神、七面大明神が祀られています。
また、御来光も有名で、特に春秋のお彼岸の中日には、ちょうど富士山の頂上から昇る朝日を拝することができます。
七面大明神の由来ですが、
日蓮聖人が身延で説法をしていると、聴衆の中に美しい婦人がいました。皆がこの美女を何者であるか不審に思うと、日蓮聖人は婦人に「本体を皆さんに見せてあげなさい」と言われました。すると婦人は一丈あまりの竜に姿を変え、「私は七面山にすむ七面天女で身延山と法華経の守護神です」と言って七面山に去ったということです。聖人没後、日朗上人と南部実長公は七面山に登り、山頂の一の池の傍らに七面大明神をお祀りしました。この時から、七面大明神は法華経守護の神として広く信仰されはじめましたが、特に、お万の方(徳川家康の側室)が、それまで女人禁制であった七面山にはじめて登詣されてから、男女を問わず、霊験新かな七面大明神信仰が盛んになったといわれています。
|
|
さて、総勢三十名、午後一時、お万様の像、白糸の滝を後にし、登山口の門をくぐり、いよいよ登詣の始まりです。
そびえ立つような、杉の巨木の間の道をひたすら登っていきますと、一丁目、二丁目と道程を示す石灯籠が登山者を励ましてくれます。ちなみに敬慎院が五十丁です。そして、最初の「坊」神力坊に到着です。登詣者のためにお茶が用意されており、ジュース等も売っていますが、まだ二丁目、ここでゆっくり休むわけにはいきません。軽く手を合わせて先を急ぎます。 |
|
「丁」を示す石灯籠の横には休めるようにイス(ベンチ)がおいてあったりします。お名前等が記してありますから、信者さんが寄付されたものでしょう。屋根のついているものも多く見られ、本当に助かります。日蓮聖人の御遺文もいろいろなところに掲示されており、さすがに日蓮宗信仰のお山です。
さて、十丁目を越えたあたりから、そろそろ足に疲れが出てきます。休む回数もだんだんと増えてきます。最初は大きな声でしゃべりながら昇っていた人も、だんだんと無口になってきます。ハア、ハアという息づかいだけが、聞こえます。そして十三丁目、二番目の「坊」肝心坊に到着です。
先はまだまだ長いので、そうゆっくりもできません。すぐに出発です。あいかわらずの杉並木をひたすら登ります。そして、二十三丁目、三番目の「坊」、中適坊へ到着です。
ほぼ、中間地点でしょうか。このあたりになると気温が低くなっていくのがわかります。吹き下ろしてくる風が、汗をかいている体にとても心地よく感じられます。しかし、足の疲労はますます激しくなり、思うように足があがりません。
三十丁目を過ぎたあたりでしょうか。眼下にふもとの町並みが小さく見えます。遠くに新緑の山並みも望め、思わず眺めの良さに足を止めて見とれてしまいます。そしていよいよ三十六丁目、晴雲坊へ到着です。
|
|
坊を出発して、最後の力を振り絞って四十五分くらい登ったところでしょうか。曲がりくねった道を左に曲がったときです。いきなり正面に、山門が目に飛び込んできました。敬慎院の山門です。時間にして、ちょうど三時間、ついに到着しました。 |
|
|
|
玄関を入ると「大やかん」が迎えてくれます。夕勤では、疲れた体にお加持のカチカチという音が染み渡り、本当に疲労感を癒してくれているようです。就寝時には、七面山名物の七、八mもある長布団が敷かれ、みんな並んで寝ます。 |
|
次の日の御来光は、土砂降りの雨で残念ながら見られず、雨の中の下山となりました。この下山も侮ってはいけません。登り以上に気を遣いますし、足にかなり負担がきます。それでもなんとか全員が無事下山することができました。 |
|
口々に「えれえ目におおた」「甘う見とった」と言ってはいましたが、みんなの顔は本当に満足そうです。
「七面山の魅力」、わかったような気がします。お疲れさまでした。 |