おじさん、即ち父のお兄さんの三回忌の追善供養が横浜で行われました。
おじさんは大野家の長男で、本来なら太然寺を継ぐべき人でした。名前も憲秀(けんしゅう)と付けられ、太然寺を継ぐべく育てられたのですが、大学卒業後、すぐに県外の会社に就職してしまいお寺を継ぎませんでした。そこで、次男の父に白羽の矢が立ち、当時全く関係ない大学に在学していましたが、急遽立正大学(宗門の大学)に編入させられ、卒業後は地元に戻り、御南中学校の先生を数年して先々代の急な遷化により住職になりました。
父は数えで66才で亡くなったのですが、おじさんは2年前、ちょうど100才で亡くなりました。
生前は故郷(太然寺)に大変思いが強く、父が生きていたときも、亡くなった後も、度々岡山に来ては思い出話を語っていました。晩年は、娘さんの住んでいる近くの施設に入り、悠々自適の生活を送っていたようです。私も何度か尋ねたことがありました。亡くなられた時には本人の遺言でお寺に多額の寄付をいただきました。お墓は横浜にあり、分骨をお寺で供養しています。
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